こちらは東京に住む皆様へ、ぜひともご紹介したい個展です。
上越ゆかりの素晴らしい画家さんがたくさんおられる中で
この方もまた、私の中では格別な存在です。
上越に越して来て間もない頃
高田公園のお堀端で、着物姿でキャンバスに向かう方をお見かけしました。
それが、内山木年さんでした。
彼の描く細密な蓮は、それはそれはうつくしく
掌の葉にたたえられた雫にも
淡く透けるように重なり合う花びらにも
ただただ嘆息し、引き込まれてしまうのですが
とりわけこころを掴まれたのは
枯れて折れ重なった茎が水面に映る様でした。
「敗荷」 (はいか、あるいは、やれはす) という言葉を知ったのは、その頃です。
それまで、秋から冬にかけての荒涼とした景色は
寂しく、侘びしく、あまり好まないものでしたが
木年さんのまなざしを通して、見えるものが変わりました。
ひと夏を咲き誇り、晴れやかに生ききって、次のいのちを蓄え、黙する・・・
その姿に、こころの鎮まりを覚えるようになりました。
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太陽の光が眩しすぎた頃のことです。
目に映る景色から、色を失くした頃のことです。
今は、両方わかります。
晴れた日も、雨の日も、必要なこと。
夏の日も、冬の日も、たのしいこと。
うれしい日も、悲しい日も
それぞれに受け止めて、いとおしみます。
是非、お出かけください。