2013年7月31日水曜日

七月二十六日

高田の祖母が亡くなりました
享年九十八
大往生を遂げられました

大変な時代を生きた苦労を繰り返し説き
愛情と激励を込めた苦言の多かった祖母でしたが
晩年は極めて穏やかに、
世の苦悩を背負っていたかのごとき顔(←母の弁)
やさしく、慈愛のみを漂わせたものに変わり
身体の機能がゆるやかに、しまい支度をしていくことの
尊い意味についても示してくれました

この母方の祖父母が居てくれたからこそ、私は幼少の頃より高田を訪ね
その結果、進学・就職で県外へ出た後、再び県内に戻るにあたり
夢を叶える場所として上越を選んだのでした

そら屋でのたくさんの出会い・・・
最後には夫との出会いにもつながるのですが
   (夫はお客様だったわけではなく、店主としての私を応援しつつも別の角度から見た人生を
 (案じてくださったお客様が結んでくれた、奇跡のようなご縁でした
それら上越での全ての出来事のルーツがこの祖母でした

とはいえ私が店を営むことを、祖母は必ずしも喜んでくれてはいませんでした
私が家庭を持てないでいることを商売のせいであると嘆き続け
その一方で「書くこと」をしきりに勧めた祖母でした

私のしあわせを心底願い続けてくれた祖母に
夫を紹介でき、よかったねと喜んでもらい、安心してもらえて、
私は本当にうれしかったです

間に合って、本当によかった・・・ 















天命を生き尽くし、眠りの淵から静かに旅立った祖母に
ただただ敬服、感謝を捧げるのみと思って臨んだ31日の告別式でしたが
感謝を抱けば、これまでいただいた愛情の大きさが思い起こされるばかりで
どうにも涙栓のしまらない在り様でした

読み上げられた弔辞には、まるで私の紹介か?と思うような一節があったり
(だいたい旅好き・人好き・もの好きで、周りの心配をよそにアドベンチャー・・・ときたら
(それはもう祖母の血なのです。 止めようがないんです(-_-)

また、スイカが好物で、最期はその果汁しか受け付けなくなった祖母の棺には
ラップに包まれたスイカがひときれ納められていて
私はやっぱりこのひとの孫なのだなぁ・・・ と苦笑したりもしました
(実は私も常々、「私の棺桶にはスイカをよろしく」 と、親しき友や相方に伝えているのでした















告別式を終えて帰ると、なんと自宅に大きなスイカ!
いつもは冷蔵庫に収まる小玉しか買わない我が家に
どーーーんと立派な特大スイカがありました
この日、仕事だった夫がいただいて来たものでしたが

・・・おばあちゃんだね

ちまちましてないんです
なんでもスケールが大きいんです
最期まで大胆で粋なことをなさいます
蓮の花に見送られ、スイカの季節を印象付けて
旅立っていかれました

 
おばあちゃんに最後に言われた言葉
忘れずに心がけていきます