11月18日(日)
初めて、新井吹奏楽団の定期演奏会へ行ってきました。
毎年チラシはいただいていたものの、
そら屋の日々で土日昼間の催しに出かけることはなかなか難しく・・・
でも、ご存知 そふぃーさん もフルートの団員でいらっしゃいますし
他にもお客様で団員の方がおられるので、
いつか聴きに行きたいと思っていました。
ほんの数曲しか聴けなかった私が言うのもおこがましいですが・・・
素晴らしかったです。
楽しそうなポップスメドレーが用意されていた第2部も聴きたいところでしたが
第1部の最終曲 「百年祭」 があまりに素晴らしくて、
次の予定があったこともありますが、
その余韻のまま帰ろうと思い、早々と、おいとましました。
「百年祭」
少子化に伴う統廃合のため100周年目に廃校となった、
奈良県立城内高等学校の最後の吹奏楽部員10名の為につくられた曲だそうです。
「祭」とあるけれど、廃校となるそのことが祭りなのかどうなのか・・・
それは聴く側にお任せしたい、と作曲家の方がおっしゃられていたと
それぞれの自分の人生の場面を想いながら聴いていただきたい
という解説をお聞きしてからの演奏でした。
演奏が始まり、私の答えはすぐに出ました。
「祭り」 でしょう。
力強かったです。
希望に満ちていました。
終わることは、始まること。
その瞬間を生きて、
心に刻んで、
旅立つのです。
「箱」が無くなるだけです。
人生は続くし、
振り返れば、歩んできた道が残っています。
同じ空の下に、友がいます。
涙が止まらなかったです。
舞台の上のソフィーさんと、今回ご招待して下さったカワキタさんへの、
これまでの日々への感謝。
素晴らしい演奏を聴かせてくださった団員の方々への敬意。
終わることや旅立ちの淋しさではなく
今、こういう想いでいられることへの感謝だと思います。
会場に着いて1曲目から、
そら屋の外にはこんなにも豊かな世界が広がっているのだと、
その世界が招いてくれていることに、まず感動していました。 そら屋にはそら屋でしか体験できないことがたくさんありましたが
そら屋に居ては体験できないこともまた、たくさんあったのです。
そら屋を始めるまでの20代から30代前半までに蓄積してきたもの、
その自分でやりたかったこと、役割として担いたいと思った理想は、
ある程度カタチにしてこれたように思います。
もちろん完成形などは無く、
続けていれば更にもっと別のことができるのかもしれません。
ただ、圧倒的に足りないものがあることも、わかるのです。
豊かな生活者でいることが、
豊かなシゴトを生み出す上で、
とても重要だと思っています。
これまでの経験を確かなる土台にして、ココからまた新たなことを、
新たな世界に触れて、吸収したいと、していけることが、
本当にしあわせです。
私にとっては 「7年7ヵ月祭」。
贐(ハナムケ)の曲を、謹んで受け取らせていただきました。
ありがとうございました。