3月は、ずっともやもやしていました。
東日本大震災から1年。
改めてあの時の津波や原発事故の映像を見て、あの当時思ったことに加えて
また新たに思うことがあったりしました。
あれから、何が変わっただろう・・・
今の自分にできることは、日々を大切に生きること、そう思って過ごしてきたけれど、
自分が「元通り」の安らかな日々にあることの、どこかしら居心地の悪さ。
平穏でありながら、その土台はいつ崩れてもおかしくない、
紙一重にあると思ってしまう、ぬぐいさることのできない不安。
日々、報道を聞くことで感じる、復興の困難さ。
「収束宣言」は虚言でしかないと思えてならない原発事故。
それでもふるさとへ、と帰郷を願うひとたちの想い。
かの地で再開される漁業や産業。
全国各地で点検のために停止する原発をめぐる議論。
代替エネルギーへの転換審議は、ようやく提言の段階。
今、私たちはどこに在るんだろう。どこへ向かっているんだろう。
個々人の努力と、政治の努力と、向いている方向は合っているのかな。。。
私にはどれもよくわからない。
それがワタシだったら・・・ と考えてしまう癖がある。
自分だったら、どうするだろう。
この町が、そら屋が、大切な人たちが、メタメタになったら?
刈羽原発が事故ったら?
何をどうすればいい?
考えて、身がすくむ。
もちろん不毛な問いを考え続けたりはしない。
でも、答えの見つからない問いはこころの底に、消えることなく沈んでいることを知っている。
被災地の「おひとりさま」はどうしているか?ということが
実はあの頃の一番の気掛かりだった。
ちゃんとコドクを吐露できているだろうか。同じ涙を流せる人はいるだろうか。
テレビに映るのは、何かを失ったひとたち。
途方もない、圧倒的な喪失と悲しみは、映しきれるものではなく
失うものや頼れるひと、寄る辺となる存在を、はなから持っていなかったひとたちに
焦点が当てられるのを、少なくとも私は一度も見ていない。
私はわからないことだらけになっていました。
どうしてそこにそんなにこだわるのか
自分自身もよく理解できないことを書くこと自体どうなのか
言葉にできぬまま想いは沈殿。。。
そして、他の言葉も紡げなくなっていきました。
震災当時も、そうやって沈殿したものがたくさんありました。
そして、何も語れなくなったのでした。
賛否、善悪、利害、反応等を気にすることなく、ありのままの感情を吐露して受け止めてもらうことが、
どれだけ心の解放になり、傷を回復させてくれることか。
震災当時は、時折、電話で母に話すことが、かろうじて私を保たせてくれていました。
直接、被災していない自分でさえ、そんなだったものだから
そういう存在がいなかったらと、つい考えて・・・ 途方に暮れます。
店にはお客様が持って来て下さった映画のパンフレットを中心に
いろいろなルポルタージュがあります。
にもかかわらず、そのヘビーさに、手に取れずに過ごしてきたこともまた
ひとつの自責の念を生んでいましたが、ようやく脱出。
『無常素描』というドキュメンタリー(大宮浩一監督作品)の公式プログラム
『無常素描 帳』の中の僧侶・玄侑宗久さんの語り採録を読んで、心底救われた思いでした。
もやもやの中で私が求めていたのは、「哲学」だったと気付かされました。
具体策以前に、どこに向かって復興するのかという大枠を描く為の哲学。
自分なりの「ものさし」を持つためのヒント。
「ものさし」がゆらいだまま世間を見ているから、その都度、右往左往してしんどいのでした。
そこには無力感や無常について触れたお話があり
『方丈記』の鴨長明の言葉を引用しながら、「怯えを保つ」こと、
「怯えを残す」復興の形、というものが提言されていました。
それは、玄侑さんも委員を務める「復興構想会議」では受け入れてもらいがたい「少数意見」
であろうと自ら述べておられますが、怯えを前提とする思想、
むしろ畏れているほうがよいという哲学に、私は開眼の境地でした。
何百年に一度の洪水に備えるという「治水ダム」に対して抱く疑念と同じものを
私は、津波対策のスーパー堤防構想にも感じていて
同じように、原発の耐震性、事故対策を向上させることは、あくまでも現在の想定内での対応に過ぎず
事故の可能性をゼロにすることでは決してない、何の解決にもならないと思っているのだけれど、
聞こえてくる復興計画の方向はどうやらそっちであるらしく・・・
もやもや感は強まるばかり・・・
だから不安から逃れたかったし、もっと強い人に、怯えない人になりたかったのですが・・・
でも、怯えていていいのでした。 怯えなくなんかなれない。 それのが自然なのでした。
怯えるから、やっぱり今日が大切で、今日出会ったひとが、いとおしくて
日々は在ることが前提ではなく、今在ることは稀有だから、
大事にしていくのですね。
ぐるんと廻って、元の場所(自分のスタンス)に戻りました。
私の「ものさし」は、玄侑さんと一緒に目盛りを刻み直し、前より少し確かなものになりました。
そら屋前、三之辻の通りにも観桜会のぼんぼりが飾られました
昨春は、震災被害に配慮して飾られなかったぼんぼりたち
やはり心なしか気分が浮き立ちます
準備万端
あとは開花を待つのみです
それにしても
ぼんぼりがあろうと無かろうと静かにその時を待つ花たちに比べ
なんと右往左往の見上げる私
雪の日も風の日も
お天道様の廻りと共にしなやかに生きるあの方たちには
到底かないません
4月5日 記。
出来事と画像は日記の日付のものですが
この日の想いをようやくコトバにできました。
これを書かないことには新しい春に進めない心境でした。
振り返りながら前を見て
今年は今年の春を、
目の前の出来事を、満喫します。
感謝。